11月15日の記事(財政の疑問に答えよう)の続きです。
バブル期が過ぎても固定資産税をはじめとする歳入が増えたのはなぜか。
バブルの崩壊というと今までぐんぐん上り調子だったものが、突然まっさかさまに落ちてしまったようなイメージを持ってしまっている方も少なからずいらっしゃるようです。もちろん人によりかなり違うとは思いますが。
そういえば、「リーマンショック」も2008年9月15日を境に天国から地獄に落ちたというイメージが強いのですが、日経平均株価やダウ平均は2007年の中盤をピークに下落を続けており、2007年下半期から景気は後退(経済財政白書より)していたとのこと。
どうも人間というのは忘れやすい生き物のようです。
さて、バブル崩壊です。
もう早いもので、バブル期から20年。バブル期について振り返ってみます。
内容についてはWikipediaの記事を参考にさせていただきました。
○バブル期とは
・バブル景気の期間は概ね1986年12月から1991年2月の間といわれています。
ただしバブル景気という言葉が使われ始めたのは1987年ごろからのようです。
・バブルというのは日本語で言えば泡、つまり中身は空気で大きさだけ大きくなったということを意味しています。
では大きくなったのは何かというと、地価や株価などの資産の価格。特に地価の高騰は社会的な問題になりました。
・地価の高騰により、土地を持つものと持たざるもの、個人と法人(個人は相続があるが、法人は相続がない、また土地の含み益をもって資金を調達することができた)の格差が生じました。
・そのころには、「いくらがんばって働いても家も買えない。土地持ちのお嬢様との逆玉を狙った方がよい。」
というようなこともいわれました。
・財政面でいうと地方自治体が公共施設用地を確保できない(東京区部では道路整備費の99%が土地代)という問題も生じました。
・土地はあがり続けるものという土地神話がまだありました、
当時放送大学かNHK教育での経済学か何かの講座で「利子率よりも土地の期待値上がり率が高ければ、地価は理論上無限大になる」 ということがまことしやかに説明されていました。地価が下がるリスクというファクターがすっぽり抜け落ちていたのですね。
・バブル崩壊がいつかというのはいろいろ節目があろうかと思いますが、 日経平均のピークは1989年の12月29日でした。
地価のピークは1992年頭といわれています。
・株や土地が下がり始めたときの世間の捉え方としては「これは大変だ」というよりも、むしろあまり一般市民には関係ない(むしろ「ざまあみろ」みたいな)という捉え方のほうが大きかったような気がします。
バブル崩壊後
・意外と思われるかもしれませんが、バブル経済後も日本のGDPは延び続けます。
株価がピークを過ぎた1990年のGDPは452兆円、GDPは97年の514兆円まで伸び続けます。
・同様に雇用者報酬1990年の231兆円から97年の279兆円まで伸び続けます。
それ以来、雇用者報酬は減少傾向ですが、それでも1990年を下回った年はありません。
・思い出してみれば1997年当時、業務で事業計画を作成したときには、人件費は漸増する設定だった気がします。
サラリーマンにとっては、バブル崩壊よりも97年の山一證券の自主廃業の方がはるかにインパクトが強かったように思います。
税収への影響
・ 地方財政白書(平成19年度決算版)によると市町村の税収のうち
40.4%が固定資産税
33.8%が個人の市町村民税
14%が法人の市町村民税
5.6%が都市計画税となっています。
・つまり、地価に大きく影響される固定資産税・都市計画税と、個人の給与に大きく影響される個人市民税があわせて80%以上を占めることになります。
・雇用者の報酬が1997年(平成9年)まで伸び続けたので、個人の給与に比例する個人市民税は理論上は97年までは伸びることになりますが、実際には特別減税などがあったため、平成5年ぐらいがピークとなっています。
・ここまでが個人の市民税が伸び続けたことの理由です。
・個人市民税はバブル後も伸び続けるとしても、なぜ地価に影響される固定資産税が伸び続けたのか?については
また次回(こちら)の話題とします。
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