図書館から借りてきました。
行政内部、市民、メディアそれぞれの立場から行政改革についての経験をまとめた本、3部構成になっています。
気になった、面白いとおもったところを紹介します。
序章:首長の嘆きから
「自治体の中で一番品質管理が行われないのが補助金の事業」
「補助要項に反せずに所轄官庁や会計検査院から一個も指摘がなったのおが最大の評価。住民からの評判は『なお、住民からの評価も高かった』いう尚書きの世界に過ぎない。」
「政策評価は一定の監視機能はあるが監視機能以上にはなっていない。」
~やりたいことに補助金を入れるのではなく、いつの間にか補助金をもらうために事業をやっているなどということもありそうです。
第1章 行政は変わるのか?
「行政改革のアジェンダは官側で設定され、その射程も行政側が行うべき事業の範囲の見直しと規制緩和。行政機関及び準行政機関の組織定員見直しと事務の効率化。財政再建のための措置(人件費、事務費削減)に重きが置かれている。」
行政機関の組織設計原理として縦割り主義とならび森羅万象所管主義というのがあるらしい。
「つまり『世の中で起こる全ての自称は、どこかの行政機関が担当している。』、なんらかの社会的な問題が生じた場合、それが家庭の問題であっても世間は行政が手をこまねいていれば批判的な追求態度をとる。明治以来 官は民を保護する責任を有する代わりに、その責任を全うするため統制管理的な介入を行うことが許容又は期待されており、現在もその考えが残っている。」
~いわれてみると、確かにそうで。当たり前だと思っていたのですが、逆にそれは世界標準からすると特殊なのかも。
合議システム(関連する部署の了解を得て回ること)について、反対することはコストゼロなので、少しでも関係がある事象には口を出せば得ということになる。逆に何かをやろうとすると、非常に労力がかかるとともに、所管をまたぐ決定には時間がかかり、その決定は玉虫色になる。
~ いまこそ部門間の垣根を越えた動きが必要なのですが。。そういう職員を組織的にも、市民としても応援する仕組みが必要です。
最も優秀な職員が自らの将来を危うくするようなリスクの大きい職務を避け、責任をできるだけ回避しようとするために、優秀な職員が行政課題が複雑な課に配属されず、結局は住民の役に立たない。
~銀行でも優秀な行員が大手町とか間違いのない支店に行き、問題のある案件を担当しないというような話を昔、本で読んだことがあります。
公務員批判に対して、公務員自身が反撃することは許されていない。それは①選挙で選ばれたという正当性がない。②公務員は組織として仕事をすることが義務付けられ、無名性が原則であること。③政治的中立性との引き換えに身分を保証されていること。という弱味を持つからだとか。したがって、公務員組織が自己防衛を図るときはどうしても暗躍せざるを得ない。しかもそれが暴露されてさらに批判されるという悪循環に陥っている。
~うーん。なるほど。。
第6章 NPOと行政の協働
「NPOの自立は「協働」の推進に欠かすことができない。行政への依存関係があり、行政に都合のよい協働が多々見られる。」
「たった数人の公募市民が会議に出席して提言書を作成して、市民と一緒に条例を作ったかのような発表が行われることに疑問が残る。」
~ 4月以降参加する行政改革の市民委員は8名。。そのようにいわれないようにしたいものです。
第7章 公を担う市民の可能性と課題
ここではNPO法人参画プラネットの事例が紹介されています。
非常に参考になる。主婦をはじめとする女性が多く、関われる時間帯や時間数、関わりたい業務内容がメンバーによって大きく異なるというなかで、市の指定管理者になるために、指定管理者に求められる仕事を分解した上で、それを組み合わせてそれぞれのメンバーにあわせたとのこと。
日本の会社は今まで終身雇用する代わりに、無限の奉仕を求める(今前者はなくなりつつあるが)というところがあり、そういう形でしか社会に参画できないという状況でしたが、こういう考え方が広がってくれば、いろいろな人が社会に関われるのではないかと期待します。
また指定管理者制度については、
「そもそも廃止した方がよいものなど、いろいろ対処があるはずなのに一律に導入を考える傾向にある。」
「創意工夫・発想を活かすための情報が行政側から提示されていない。」
「指定管理者の施設で利用料を取るべきサービスを行政が無料で提供したりするため、民間と官が公正な競争関係になっていない。」
「市民側もやりたいことに関心が集中し、相手側の関心を忘れがち。」
という課題を指摘しています。