2009年5月4日月曜日

財政健全化法を勉強する その6

前回までは財政健全化法の健全度合いの判断基準について説明しました。
 勉強しながらのコラムにつき、説明不足、わかりにくい点ご容赦ください。
 細かい指標やイエローカードの場合の手続きなど細かい点は、総務省のページ等を参考にしていただければと思います。
 この制度は始まったばかりであり、行政活動への影響は未知数です。都下の自治体ではイエローカードにかかりそうなところはなさそうなので、直接的にどうというより、議会や市民の参画のひとつのきっかけになればと思っています。
 (といいつつ、個々の健全化指標自体のチェックはしづらいと感じますが。)
 
財政健全化法に関する課題として、類書を斜め読みすると以下のことが指摘されているようです。
○公共サービス低下の懸念
 ・公営企業ごとに資金不足をチェックすると、公共が事業から撤退してしまい、サービスの供給者がいなくなるのではないか。
  →これに対しては、事業の性質上計画的に出てくる赤字でやむをえないものを、「解消可能資金不足額」として資金不足額に算入しないことにするという配慮がなされています。が、この配慮に対してもう一方からは「解消可能資金不足額」に恣意性が入る余地があり、無用な延命になるのではないかという懸念を表明されています。 うーん、難しい。
○公会計制度との関連
 ・フローだけではなくストック情報もというが、公会計自体がストック情報を扱うように整備されていない。
  →第4回でのコメントのように、将来負担比率にはいろいろな性質の債務が一緒くたになっているという問題があります。実は偶発的な債務や資産の評価損は企業会計基準においても議論があるところであり、もともと難しい分野です。だからといってそんな指標は意味がないというのではなく、さらによい指標になるようブラッシュアップしていくべきなのだろうと思います。(総務省の都合でしょっちゅう変わるようでは問題ですが。)
○そもそも論
 ・財政悪化の原因は国の政策に負うところが多いのになぜ地方が責任を取るのか。
 ・国で画一的な基準を決め、国が監視・管理をするのは地方自治の原則に反する。

 というところかと思います。
 個人的には、イエローカードを食らうボーダーラインの設定が、国の監視の目が行き届く範囲の数に収まるように設定されるようなので(前々回コラム参照)、かなり財政状況が悪化している自治体のみがエローカード(財政健全化団体)となると思われます。しかしそのような背景を知らない市民から見れば「基準値を超えていない=財政は健全」と思ってしまわないか。そのために、行政健全化の努力がそがれてしまわないかという点を心配します。
 また総務省の研究会では破綻法制(債務の減免)などについても議論されたようですが、財政健全化法では債務の減免が行われることは前提としていません。
 話は民間の倒産に戻りますが、倒産(破産)の意義付けとしては以下のように言われているようです。
 1.個人の再生。事業の失敗など一度の失敗により一生を棒に振るのではなく、債務を軽くして再チャレンジできるようにすること。
 2.事業価値の保全。債権者が借金のかたに、その会社の資産を個別に換金してしまうと、土地や建物、機械、社員が一体となって経済的な価値を有していたものが、価値が毀損してしまい、社会的な損失が生じることから、それを防止するため。
 3.不適切な経営者の退場。倒産により社会の資源を有効に使えない経営者の退場を促し、社会全体としての経営資源の有効活用に役立てるため。

 夕張市のケースを個人に当てはめると、一生かかっても返しきれない借金を背負って食べるものも減らして、寝る時間も減らして働かされているように見えます。個人であれば破産をして、債務の免除を図ることでしょう。自治体財政は家計と似ている*1ということを考えると、いったん破産して再出発をするのがよいように思います。(とはいえ、先進国ではアメリカ以外に自治体の破産を想定している国はありませんが。)

 債務の減免が許されなかった理由を私なりに考えてみました。(あくまで個人的な見解にすぎません。)
 債務の減免には2つのやり方があると思います。ひとつは貸し手責任ということで、金融機関に債務の減免を求めること。もうひとつは国が面倒を見ること。
 前者(金融機関が負担)を仮に実施したとすると、「次はあの町か」ということになり、財政状態の悪い町が資金繰りができない又は、金利がやたらに高くなってしまう。というようなことが起こると想定されます。おそらく大都市の地方債や国債の信頼にまで波及することが予想されます。そうなると債券の価格が下がって破綻する銀行が出るかもしれません。低金利で何とか持っていた国の財政が破綻することもあるでしょう。
 おそらくそのようなリスクは国としては取れないと思われます。
 それでは後者(国が負担)の場合はどうでしょうか。ひとつはモラルハザードの問題があります。最後には面倒を見てくれると思えば、苦しい思いをして財政をよくしようという試みは萎えてしまいます。また自主的な再建をあきらめて国になきつく町も相当出てくるのではと思われます。 ということでこれも国としてはやりにくいということになります。

 という状態の中、夕張市は金融機関にも国にも助けてもらえず、体力を失いながらも返せない借金を返そうとしているというような状態に陥っているようにも見えます。 あるいはこのような状況が全国に報道されることで「財政が悪くなるとこうなるんだぞ」と国が脅しをかけているのかもしれませんが。

今回で一応最終回です。最後は明るい展望の話でなく申し訳なし。
 財政健全化法の本格的な運用は平成21年度からです。関連する動きについては、目先のセンセーショナルなものに惑わされず、じっくり注視していきたいと思います。

*1 自治体の財政は家計に似ている。: 営利企業は利益の最大化を主な目的としています。一方個人(家計)は家族の幸福の最大化を目的としているといえるでしょう。 それでは自治体はどうか?となると考え方としては家計の方に近いのではないかと、つまり自治体の構成員(企業を含む)の効用(平たく言えば幸せ度合い)を最大化することを主な目的としているといえるのではないかと。 という意味でのこのフレーズです。
 ところで、利益の最大化にしても、幸福の最大化にしても、長期的な視点と短期的な視点があります。四半期ごとの利益の最大化が長期的な利益の最大化に直接結びつかないように、短期的な幸福の最大化と長期的な幸福の最大化は違います。
 家計ではできる長期的な幸福の考え方が、多人数多様な利害関係者から成り立つ自治体(国全体がそうだともいえよう)においてはできていないのではないかと。市の財政を自分の家計のように思って考える人を少しでも増えればよいなと思います。
 語句の説明にしては長くなりすぎましたな。